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その黄金こそが

 

※クリスマスにかこつけた、ややセルフ二次的な番外。

作中に出て来る健気な司令官はクセノフォンの『キュロスの教育』からの逸話です。

 

 

「なぁリッダーシュ」

 多忙な政務の合間、私宮殿で腰を下ろして一服したシェイダール王は、ふと思いついた様子で近侍に呼びかけた。

「何か欲しいものはないか?」

 唐突な問いに、リッダーシュは森緑の目をぱちくりさせる。即答できず首を傾げた彼に、シェイダールは曖昧な表情で補足した。

「いや、ほら……たまには主君らしく、おまえに贈り物をしないと」

 つい先ほどまで論功行賞の内容を財務長官と討議していたからだろう。ああ、とリッダーシュは納得して微笑んだ。

 昔から、王は臣下幕僚に気前よく贈り物をするのがならわしだが、シェイダールは育ちが貧しい上、本人が物質的な欲にまったくこだわらないため、周囲が促してやらないとおろそかにしがちだ。

「わたくしめには過ぎたるお心遣い、そのお言葉だけで身に余る光栄に存じます、偉大なる王よ。……そんな顔をしないでくれ、実際こうしておぬしのそばに仕えていられることが一番の喜びだ。つとめに相応の財貨は賜っているし、この上新たに褒美が欲しいなどとは思わぬよ」

 リッダーシュは穏やかに答えたが、シェイダールのほうは相変わらず、一度自分がこうしたいと思ったら譲らない。怒ったように食い下がる。

「おまえが良くてもほかの連中に示しがつかないだろうが。欲しくなくても、飾って自慢するのに適当な物の希望ぐらいあるだろう。黄金の杯とか、どうだ」

「黄金の……」

 なにげなく繰り返したリッダーシュが、途中で変な顔になる。なんだ、とシェイダールが眉を寄せると、彼は奇妙な目つきで主君をまじまじ見つめ、それから何回か言葉を発しかけては止め、

「――っ、く、あはははは!」

 唐突に大笑いをはじめた。金貨の櫃をひっくり返したように、辺り一面、黄金がまき散らされる。

「なんなんだ、おい、どうしたリッダーシュ。落ち着け!」

 わけがわからず、シェイダールは笑い転げる友の肩を揺する。リッダーシュは笑いすぎて目尻ににじんだ涙を拭きながら、切れ切れに弁解した。

「失敬、ちょっと、思い出してな……。少年時代に惚れこんだ王子のために、人生すべてを捧げて世界征服にお伴した、健気な司令官の話があったろう」

「??」

 シェイダールは困惑した。それだけでは誰の話だかわからない。王宮に来てから過去の王や英雄の伝記はうんざりするほど読んだが、似たような内容が多すぎる。リッダーシュはまだ笑いながら言った。

「王子に構ってもらいたくて、この戦が済んだら少しは自分と話してくれるだろう、次こそは、次こそはと、付き従って」

「――ああ、あいつか」

 合点がいったシェイダールは苦笑いになる。リッダーシュもうなずき、にやにやしながら座り直して主君の顔を正面から見た。

「ようやく黄金の杯を賜ったと思ったら、目の前であるじが他の者に接吻したものだから、『あんまりだ、彼に賜った黄金のほうがずっと素晴らしい』と……私が同じことを求めたら、おぬしはどんな顔をするだろうかと想像してしまったのだ」

「それで言う前に自分で大笑いしてりゃ世話ないな」

 呆れながらシェイダールは軽く手を振る。明るい残響がきらきら眩しい。リッダーシュは屈託なく、まったくだ、と同意した。

「ああ可笑しかった……それで、おぬしならどうする? 黄金の杯も宝石も要らないから口づけを、と願ったら」

 明らかに冗談の声音で性質の悪いおねだりをした友に、シェイダールは胡乱な目を向けて思案する。昔は同性間でも挨拶あるいは信頼の証に接吻するならわしがあったが、今はほとんどおこなわれない。さりとて断固拒否するのも無情だ。というわけで、彼は件の伝記と同じ返事をしてやった。

「まあ、三十年後にくれてやるよ」

「ひどいな」

 話の落ちを知っているリッダーシュも、また笑う。それから彼は、「三十年か」と小さくつぶやいてあるじを見た。シェイダールは肩を竦めてごまかし、ふいと顔を背けて窓外を眺める。下手な照れ隠しに、リッダーシュも敢えて無言であるじにならった。

 ――それだけ共にいられたら、もう何も要らない。

 言葉にしなくても伝わったのは、明らかだったから。

 

(終)