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怒り方いろいろ

 

※シェイダール即位後2~3年ぐらい。怒り方にも個性色々。

 

 

 

 それはいつもの光景だった。

 利害の対立する案件が俎上に置かれた会議、頑なに固執する両者に議長役の長官が理を説き諭し、飴と鞭の使い分けや新たな提案によって調整、妥結をはかる。

 巧みな弁舌があれば頑迷な一言があり、冷徹な指摘には皮肉と侮辱が返され、次第に皆、頭に血が上って怒号が飛び交いもして、

 

「《静まれ》! ええい、おまえら解決する気があるのか!? 話が進まんだろうが! もういい俺が決める!」

 

 ……などと、王その人による独断でようやく落着。近頃はその「俺が決める」を最初から期待してくる向きもあり、シェイダールの負担は増える一方だった。

 

 

 会議が解散した後、私宮殿に戻って水をがぶ飲みする王に、リッダーシュが蜂蜜の飴を差し出していたわった。

 

「今日も難航したな。これで喉を休ませるといい」

「ああ、やれやれまったく……あいつらは自分達でどうにかしようって気がないのか? 結局また俺が決めて押しつけて、それでいいのか」

「お互い譲れぬのだろう。今回の一件だけでなく今後も関係が続く以上、相手に負けた、相手の言い分を飲んだ、となれば次もまた不利になりかねん。王の裁定に従っただけ、としておけば互いにごまかせるからな」

「くだらん」

 ちっ、とシェイダールは舌打ちし、しかめっ面で喉を押さえる。

 

 最終確認のために私宮殿までお供したヤドゥカが、水の相伴に与りながら言った。

「しかしつくづく、飽きもせず毎回怒っていられるものだな」

「おまえはよく我慢できるもんだ。俺が短気なのは認めるが、ほとんど毎回あんな調子で苛々しないのか?」

 ふん、とシェイダールが鼻を鳴らす。ヤドゥカはちょっと思案してから、うむとうなずいた。

「慣れてしまったからな。昔から身の回りでいざこざがあると、私を間に挟んで言い争い、最終的に私が裁決を下すというのが普通だった」

 

 途端にリッダーシュがふきだした。何だ、と不審顔になったあるじに、彼はくすくす笑いながら説明する。

「ヤドゥカ殿は昔から、牡牛のようだと評判だったからな。どっしり構えて落ち着きがあり、頼もしく、その判断に信が置ける、というわけだ」

 

「なるほど」

 シェイダールは改めて品定めする目つきになり、側近をじろじろ眺めて評した。

「まぁ確かに、見た目だけで人を黙らせられるのは大きいよな。それに何よりショナグ家の若様だ。文句のつけようもないだろうさ」

 

 褒め言葉なのか皮肉なのか微妙なところである。当人は曖昧な顔で応じた。

 

「いや、実際は……子供の頃に、身体ばかり大きく育って強そうなくせに鈍重だ、と母にからかわれただけなのだが。物事に対する反応も、行動も遅いと言って」

「それは誤解か冗談でありましょう」リッダーシュが苦笑でとりなす。「私が知る限り、ショナグ家の方々は皆、口を揃えてヤドゥカ殿を称賛されましたとも。些細なことに動じない、忍耐強い、それでいて突進する時の力と勢いはすさまじい、といった具合に」

 

「なんだ、一度怒ると手が付けられないってことか」

 シェイダールがにやにや笑って茶々を入れた。ヤドゥカは肩を竦め、

「怒りが溜まるのが遅いだけで、温厚なわけではないからな」

 そう自己分析してから、黄金の声をもつ友人を見やった。視線の意味を察し、シェイダールは何とも言えない苦笑をこぼす。

 

「ああ、温厚と言うならこいつだろう。いつでも上機嫌で、怒ったことなんか……あ、いや、一度はあるが、まぁ滅多に見ないからな。怒鳴ったり喚いたり物に当たり散らしたりするのはいつも俺ってわけだ」

 王の自虐発言に、友人とはいえ臣下でもある二人は揃って沈黙を返した。その反応にシェイダールは渋い顔をする。

「そこで黙るなよ。……いつも悪いとは思ってるんだ。これでも前よりはマシになっただろう。なってないか?」

 

「ああいや、」

「もう慣れた」

 二人が同時に言い、顔を見合わせる。それからリッダーシュが改めて笑みを向けた。

「確かにおぬしの態度は何かと激しいが、以前よりは落ち着いているとも。それに、おぬしの怒りにはいつも筋が通っている。理不尽なこじつけや、無理無体な我儘などではない。だからどう言えば静められるかもわかるし、怒っていても話が通じる」

「それができるのはおぬしぐらいだぞ、リッダーシュ。だがともあれ、我が君の癇癪のおかげで、のらくらと言い逃れや先送りで時間を稼ぐ輩が激減したのはありがたい。物事が迅速に進む。……というわけだから、先の結論をまとめて文書にしてしまおう」

 

 ヤドゥカが言ったのでシェイダールも仕事の頭に切り替え、三人で会議の内容を振り返って本当にこれで良いかどうか確認する。話がまとまると、リッダーシュが書記を呼びに行った。

 

 軽快な足音が遠ざかって、しばし。ヤドゥカがおもむろに口を開いた。

 

「……リッダーシュは温厚鷹揚で滅多に怒らない、それは事実だが、しかし彼も人間だ」

「ああ、怒ることもあるのは知ってる。王宮に来てひと月ぐらいの頃に、叩きのめされたからな」

 

 シェイダールはつぶやくように答えた。

 かつての王妃ラファーリィとの、初めての逢瀬。恐らくリッダーシュにとっては、母であり女神であり理想の女でもあったろう妃を寝取ったのだから、怒りも当然至極、むしろあの程度で済んで良かったぐらいだろう。

 

「そうか。既に承知なら良い」

 ヤドゥカの声に安堵が滲んでいると気付き、シェイダールは眉を上げた。

「もしかしておまえも、あいつを怒らせたことがあるのか?」

「私ではない。愚弟が一度な」

 ため息をつき、ヤドゥカはぽつぽつと語った。

 

 王宮で様々な勉強や見習いをしていた貴族の子弟たちは、時折ショナグ家領地の屋敷に招かれることがあった。少年時代のリッダーシュも何回か滞在し、ヤドゥカと共に狩猟や武芸稽古を楽しんだ一人だ。

 むろんそうした貴族子弟の交流は既に、ある種の政治的根回し、派閥抗争でもある。仲良しばかりが集うわけでもなく、未熟で幼稚な精神からのいじめやあれこれもあった。

 リッダーシュは生来の鷹揚さと純朴さで目立った敵は少なかったが、ヤドゥカのお気に入りであるのはおのずと知られ、妬みを買うこともあった。

 

「たまたま大人達がいないところで、畏れ多くもラファーリィ様について卑猥な話を始めた馬鹿がいてな。折悪しく私もその場におらなんだ。リッダーシュはむろん咎めたらしい。最初はやんわりと、次いで厳しく。だが愚弟はそれが気に入らなんだ。リッダーシュが嫌がるから、という理由で不遜な発言をさらに過激にしていったそうだ。ちょうど私が戻って来た時、リッダーシュが初めて見る顔つきで沈黙し、弟を見つめていた。激昂しているようにはまるで見えぬ、だが普段を知っていればこれは危険だとはっきりわかる、そういう沈黙だった」

 

 しみじみと回想するヤドゥカにつられ、シェイダールの脳裏にもあの日の従者が鮮明によみがえる。ああ、と彼は納得の声を漏らした。

 

「愚かな弟は、相手が言い負かされて黙ったのだ、と考えたのだろう。嘲笑い、続けて王妃を侮辱した。……そして直後に吹っ飛んだ」

「吹っ飛んだ」

 

 思わずおうむ返しに言ったシェイダールに、ヤドゥカは神妙にうなずく。

 

「うむ。子供とはいえ人間が文字通り吹っ飛ぶのは、初めて見た。リッダーシュに体当たりされてな。そのまま組み伏せられて襟首を締め上げられ、泣いて詫びを入れるまで解放されなんだ」

「目に浮かぶぞ。その間あいつ、怒鳴ったり罵ったり、いっさいしなかっただろう」

「いかにも。まわりもさすがに驚いて、誰も止めに入れなんだ。さらに驚かされたのは、そんな一件があったというのに、愚弟が謝罪した後はまるで根に持たず、普通に接したことだ。当の愚弟は随分長くリッダーシュを恐れていてな……」

「私がどうしましたか、ヤドゥカ殿」

 

 噂をしていると、当人が戻って来た。不思議そうに問いかけつつ、書記を部屋に招き入れる。シェイダールがにやりとして代わりに答えた。

 

「おまえを怒らせると危ない、って話だ」

「おぬしに言われたくはないぞ」

 

 心底困惑した表情で切り返されてしまい、シェイダールは苦虫を噛み潰す。ヤドゥカまでが追い打ちをくれた。

 

「本気で怒れば世界を滅ぼしかねん力を持ち、しかもそのうえ執念深いからな」

「それが分かってて俺を怒らせようとはいい度胸だな! ……くそ、ああいいとも、俺が一番怒りっぽくて物騒大王なんだろうさ。覚えてろ」

 

 シェイダールはぶつくさ文句を言いながら、当惑する書記を呼びつけて口述筆記を取らせ始める。リッダーシュはヤドゥカと目配せを交わした。

 

 これだけしょっちゅう怒っているくせに、実のところこの大王様は、怒り任せに相手を吹っ飛ばしたり処刑したり、ということがない。だから安心して諫められるし、仕え続けていられるのだ。

 むろん、あまり怒ってばかりでは心身に良くなかろうし、もう少し穏やかに過ごせるならそのほうが望ましいのだが。

 

 ――これが我が君なのだから、仕方ない。

 

 そんな相通ずる想いを顔に浮かべ、二人はそれぞれ忍び笑いを漏らしたのだった。

 

 

(終)

 

 

※ちなみにジョルハイは表面上温厚ですがわりと怒りを感じやすく、言動には出さないまま相手を切り捨てたり、敵・踏み台と認定していきます。怒りを表す時は言葉で攻防することが圧倒的で暴力をふるうことはほぼありません。