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改元お祝いムードの不可解

 

平成が終わって令和になったところで何が変わるでなし。

ツイッターで迂闊に呟くとろくなことにならないのが目に見えているから、僻地の穴倉でこっそり独白。

 

個人的には4月末が選考の合否通知期限だったため余計にお祝いどころではなかったのだけど、それを別にしても、このところの世間の浮かれようには辟易させられた。

 

いくつかの新聞の記事では既に「先の天皇陛下が亡くなられての代替わりでないこんな時だからこそ、天皇制そのものの在り方について議論を深める良い機会だったのに、ただなんとなくおめでたいというムードで流されてしまい」といったトーンの内容も出ているが、まぁほぼ無視されているようだ。

 

私自身は別に、天皇制断固反対、廃止すべき、という強い意志を持っているわけではない。

そういう文化や伝統も価値があるだろうし、何かしら“尊い人”を必要とする背景も否定はしない。

けれど、「天皇さん退位されたらゆっくりしてほしい」「お疲れ様」といった感想が出て来るのなら、次の天皇にもまた同じ重責を負わせることに何も感じないの? とは思う。

すぐれた血筋ではあらせられるかもしれないが、皇族といっても生身の人間なのに。

 

縋るものが必要なのだ、というもっともらしい言い訳はあるけれど、それは国を挙げて「この人が我が国の象徴だから」と担ぎ上げるようなものなんだろうか。

そうして用意された象徴(人間)に、自分の信頼や憧れや崇敬を、ほいと託してしまっていいものなのか。

 

…もっとも私とて、こういうことを感じていても世間のお祭り騒ぎを横目に見るだけで(実質的に)黙っているわけだから、雰囲気を壊さないよう流れにのっかっている人々のすべてが熱狂的に皇族を崇拝しているわけでもなかろうけれど。

とにかく何でも商機にしてしまえという企業の意図的な盛り上げもあるだろうし。

 

天皇制そのものについての議論が出ないのは、

 ・過激な派閥(賛成にしても反対にしても)が出て来て議論にならないから

 ・大多数は別に現状維持で何の不満もないから

といったことに加えて、

 ・仮に天皇制を廃したとして、新たに“日本人の拠り所”にすべき理念や制度を誰も提示できないから(少なくとも、多数の支持を得られるほど強い何かは)

――といった理由が考えられるだろうか。

 

個人的には、そんな風に“日本人”を窮屈に押し固めなくてもいいじゃないかと思うのだけど。

ずっと当たり前に大きい集団に属してきた人にとっては、そういうものがよほど大事なのかもしれない。

 

 

 

そして“世間”がそうなんだったら、金枝が相手にされないのも尤もではある。

単純にガチファンタジーの需要がないというのに加えてテーマがあれではね…

(疲れたよパトラッシュ)