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SS名刺メーカー控え

 

 冬の夜をしのぐため身を寄せ合っていると、弟子がしきりに手をこすっているのに気が付いた。

「エリアス。見せなさい」

 返事を待たず手を取ると、氷のように冷たいのに赤く腫れている。霜焼けだ。グラジェフが自分の手で包んでやると、弟子はむず痒い顔をした。

「温かいですね」

「昔から血の気が多くてな」

 おどけて言い、失笑を誘う。穏やかな沈黙の後、グラジェフはそっと手をほどいた。

「次の街で手袋を見繕おう」

「あなたが素手なのに、私だけが……」

 とんでもないと言いかけた弟子を、眉を上げただけで黙らせる。

「必要なのは序列を守ることか。それとも、いかなる時も支障なく戦えるよう整えることか?」

「……後者です」

 よろしい、と頷いて瞼を閉じる。だが薄目で見やると、弟子は名残惜しげな顔をしていた。苦笑し、もう一度手を握ってやる。ほっと息が漏れ、信頼の重みが肩に寄りかかった。

 

(2021.1.28)

 

 

 

【肉の日SS】

 

 さっきから弟子の視線が痛い。その突き刺さる先は、袖まくりしたグラジェフの腕だ。

「何が気になる」

 たまりかねて訊くと、エリアスは眉間に皺を寄せたまま、自分の腕をぎゅっと握って答えた。

「どうすればそのぐらい筋肉がつくかと」

「無茶を言うな。そなたは……」

 女だろう、とは言えず飲み込む。お互い承知の秘密でも口に出すのは憚られるし、何より「女には無理」とはなから断じては少々侮辱的だ。

 ふむと思案して、彼は続けた。

「体質が違う。広場にあった彫像のように筋骨隆々にはなれまいよ」

「何もあそこまでとは言いませんが」

 悔しそうに唸る弟子に、グラジェフは軽い冗談を投げる。

「肉をつけたければ、肉を食べなければ。酒場に行くか」

 すると意外にもエリアスは「はい」と腰を上げた。いつもは食道楽を戒めるばかりなのに、珍しい。グラジェフは面白そうな顔になったが、弟子の気が変わる前にと自分も立ち上がる。

「食事に意欲的とは、良い変化だな」

「あなたに感化されたんですよ」

 師匠のからかいにエリアスは皮肉を返し、それからふと真面目な表情になった。

「こんな事でも、少しずつあなたのようになれたら」

 つぶやかれた願いは真摯なものであったのだが、残念ながら話の流れゆえにグラジェフの頭に浮かんだのは、自分のようにがっちり筋肉のついた弟子の姿、というもので。

「……まぁ、ほどほどにな」

 複雑な顔で曖昧に答えるはめになったのだった。

 

(2021.2.9)

 

 

 先日来、筋力増強に凝り始めたエリアスが毎日のように、成果を確かめたいと腕相撲を挑んでくる。グラジェフはその相手をしながらいつも複雑な気分になり、弟子の努力を奨励すべきか諫めるべきか決めかねていた。

 そもそもが、「あなたのように」と言われて自分の身体に弟子の頭がちょんと載った姿など想像してしまったのが敗因ではあるのだが、もやもやした感情の原因がいまいちはっきりしない。

 エリアスが女だからか。非力で守られる存在であるべきだと?

(馬鹿らしい)

 グラジェフはその考えを一蹴した。己の使命は彼――そう、“彼女”ではない――を一人前の浄化特使たるべく仕上げることだ。長所短所を見極め、不足を補い鍛えること。その観点での指導に手を抜いたことなどない。

 身体が女だろうと浄化特使として生きるのなら、力と技の鍛錬は不可欠。

 だがそれでも、近頃のあまりに一途な励みようを見ていると、まあ待て、と手綱を引きたくなるのだ。

(やはりどこかで軽んじているのだろうか)

 胸中を探ってもなかなか見付からなかった答えは、突然に転がり込んできた。いつものように腕相撲をしようと、手を組んで力を入れた瞬間、エリアスが痛みに怯んで顔をしかめたのだ。

 反射的にグラジェフは力を緩めた。

 幸い、腕の筋を傷めたのではなかった。エリアスは決まり悪そうに手を離して腰を浮かせ、椅子の座面を手で払って座り直す。小石でも挟まっていたらしい。

 グラジェフはほっとすると同時に、思考が晴れるのを感じた。弟子が改めて構えたが、もはやそれを取らず腕組みする。

「大事なくて良かったが、今の隙を突けば私に勝てたろう」

 思わぬ指摘を受けてエリアスはぽかんとし、それから眉をひそめた。

「かもしれませんが、無意味です。筋力がついたかどうかを計るためであって、勝ちさえすれば良いのではありませんから」

「それでも、私ならば勝ちを取りに行く。筋力だけでは及ばずとも、計略を併用すれば勝てる、という結果を得るためにな」

 言われてエリアスはいまいち納得できない様子だったが、しばし考えて慎重に答えた。

「それが必要ならば。ですが計略を用いるにしても、別の方法にします。温情に付け入るのは……」

 言葉を濁し、首を振る。よほど切羽詰まった真剣勝負ならば手段を選ばないにしても、こんな程度のことで信頼を利用するのは卑怯だと感じるのだろう。

 弟子の素直な誠実さを見て取り、グラジェフは微笑んだ。

「だが、私なら遠慮無く利用するぞ。自分より強く目上の者に対して公正さを重視してばかりいては、いつまでも勝てん」

「……」

「不満そうだな。そう、これは私の流儀であり、そなたの選択ではない」

 話がそこまで来て、エリアスはやっと師が何を言おうとしているかを察した。居住まいを正し、拝聴する姿勢になる。グラジェフは腕組みを解いて静かに語りかけた。

「先にも言ったが、そなたは私とは違う。体質はむろんのこと、今示したように戦い方もだ。だから、むやみに私を目指すな。同じ筋力を身につけ同じ方法で戦おうとしては、無理が生じる。……とは言え、そなたはまだまだ、己の流儀を見出せる域には遠いゆえ、ひとまず私を手本にするのが妥当ではあるが」

 師としての面目も立つしな、とおどけて言い添え、相手の目に理解の色を確かめてから続ける。

「あくまで仮の目標であると、忘れず意識の片隅に置くことだ。そなたはそなたで、私ではない」

「『同じやり方をしろとは言わんよ』ですね」

 エリアスがふと口元をほころばせる。不意打ちで自分の言葉を持ち出されたグラジェフは、気恥ずかしさをごまかそうと苦笑しつつ、うむ、とうなずいた。

 エリアスがうつむいて教えを咀嚼している間に、グラジェフは天を仰いでそっと聖印を切った。この弟子に対して傲慢の罪を犯さずに済んだことを、感謝したのだ。

 目を下ろすと、向かいからエリアスがじっとまなざしを注いでいた。何を祈ったのか問いかけはせず、彼は改まって頭を下げた。

「ご教授ありがとうございます。……確かにここしばらく、いささかむきになっていたと思います。あなたと共に過ごせる時間がもうあまり残っていないと、焦ってしまいました」

「……ああ」

 そうか、とため息まじりに納得する。

 物寂しい沈黙が下りるのを拒むように、エリアスが気合いを入れて立ち上がった。

「今日の勝負はひとまず預けておきます。あなたと同じにするのではありませんが、私なりに使える計略がないか、少し考えてみたいので」

「ほう、それは楽しみだ。では私も油断せぬよう、気を引き締めて待つとしよう」

 師弟は笑みを交わし、再戦を約束したのだった。

 

(2021.2.17)