『灰と王国』四部5章で青霧を訪ねた後のちょっとした雑談。
家事労働のしょっぱい話です。灰王世界が家父長制なのがよくわかってしまってアイタタ。
※ ※
「そういえば、青霧さん」ネリスがふと思い出して言った。「さっき、あたしとマックのことはお祝いして下さいましたけど、そこの兄も一応、結婚したんですよ。レーナと」
分かってると思いますけど念のため、といった風情でお知らせする。青霧は軽くうなずいた。
「ああ。だが竜との結婚となると、めでたいとばかりも言えん気がしてな」
忘れていたわけではない、と言い添える声音も、どこか複雑だ。フィンはあえて無言で、話題がこのまま終わるように願ったが、挙式翌朝のざまを見たネリスが引っ込む道理はなかった。
「何か難しいことが起きるんですか。単に竜侯だっていう以上に」
ネリスは真剣だった。マックも、彼女から話を聞いたのだろう、じっと青霧の答えを待ち受けている。
青霧はそんな二人の様子を眺め、それからフィンをちらと見やって、肩を竦めた。
「むろん内面的な問題も色々とあるだろうが、俺が考えたのは単に生活のことだ。普通に嫁を取ればやってもらえる様々の雑事を、まさか竜には任せられんだろうが。それとも、天竜は炊事や洗濯が出来るのか?」
「……少しは教えましたけど」
はぐらかされた不満と、拍子抜けした安堵。ふたつの感情があいまった声で、ネリスは曖昧に答える。青霧は気付かぬふりで、フィンに問いかけた。
「実際のところ、どうなんだ?」
「今は母とネリスが、家族全員の世話を見てくれています。レーナも少しは手伝えますが、彼女に主婦の仕事は無理でしょう。させるつもりもありませんし」
フィンは苦笑し、いつもすまない、と目顔でネリスに感謝する。だが返ってきたのは、冷ややかなまなざしだった。
「言っとくけど、いつまでもあたしを当てにしないでよ。母さんならともかく」
首を竦めたフィンに、青霧が同情的な顔をして言った。
「いずれ人を雇うか、自分で自分の面倒を見るしかあるまいな。女の竜侯が竜と結婚するというなら、手のかかるお荷物がいない分、むしろ助かるのかも知れんが、男が竜と結婚したら、うるさくても世話を焼いてくれる嫁のありがたみを痛感するだろうよ」
冗談めかした口調に、懐かしむ響きがあるのは、かつて自分の妻だった女を思い出しているためだろうか。フィンはちょっと頭を掻いて、ごまかした。
「そうですね。ネリスも結婚したし、じきに住まいも別になりますから、何か考えないと」
このまま三世帯同居とはいかないし、ファウナも、今は世話を見るべき家族がいることをむしろ喜んでいるようだが、だからとていつまでも甘えては申し訳ない。ファウナも夫と同様、粉屋時代からの続きで市財政の一部を担っているため、暇ではないのだ。
と、フィンがあまり神妙なのでばつが悪くなったのか、ネリスが今さら取り繕うように言った。
「まあ、お兄はそんなに手のかかる方じゃないと思うけどね。自分の部屋はちゃんと掃除してるし、ちょっとした繕い物とか洗い物とか、ぱぱっと片付けちゃってるし」
が、むろん、褒めて終わりにはならなかった。だけどさ、と声の調子が変わる。
「ナナイスが大きくなって忙しくなったら、流石に手が回ってなかったじゃない。あたしだって忙しいのに、よりによってお兄の下着を繕うはめになった時は、ちょーっと腹が立ったなぁ」
「…………」
フィンは無言で、片手で拝むふりをする。ファウナに任せるかいっそ放置してくれたら良かったのにと思わなくもないが、年頃の妹に下着の繕いをされてしまった兄の心情などは、言っても一蹴されるだけだろう。
ネリスの憤懣はまだ続いていた。
「そりゃね。手が空いてる人がするのは当然だし、女の方が細かくて退屈な仕事に向いてるのかも知れないし? 家事全部嫌だって言うんじゃないのよ。でもさ、時々ちょっと考えちゃうわけ。なんで母親でもないのに、こんな事やってんだろう、とか。うっかり惚れたわけでも、産んだわけでもない奴の世話なんかやってられるか、ってね」
ここぞとばかりに恨み言をぶつけられて、フィンは返す言葉もなく沈没する。ネリスの言い分は一方的だが、しかし、彼女にはそれを言うだけの権利が充分にあるのだ。フィンが気付いていないところで、ファウナと共にどれだけの細々した雑用を片付けてくれているか、想像も出来ないほど愚かではない。
「……対策を考えるよ。早急に」
「ま、別に急がなくてもいいけどね。当面は」
どうせナナイスに帰って落ち着くまで時間はかかりそうだし、とネリスは応じる。あっけらかんとした口調に、もう怒りの気配はない。言うだけ言ったらすっきりしたようだ。
と、マックが何がなし傷ついた顔をしているので、青霧が慰めるように、ぽんと肩を叩いた。
「せいぜい機嫌を損ねないよう、こまめに働くことだな」
「はあ……いえ、っていうか……」
マックは言葉を濁し、それから、悲しそうに深いため息をついた。
「俺、『うっかり』なのかぁ……」
しみじみと切ない一言に、一瞬、静寂が落ちる。次いでフィンとネリスが爆笑した。青霧でさえ、珍しく声を立てて笑い出す。
ネリスは笑いながらマックに寄りかかり、軽くぶつふりをした。
「本当、うっかりどころか人生最大の不覚! こんなの二度とないから」
自覚があるのかないのか、けなしながら惚気ている。フィンはどうにか笑いをおさめ、やれやれと頭を振った。そうして、
(ああまったく、うっかりだよなぁ)
初対面からレーナに懐かれ、いつの間にか己もそれを受け容れていた、自分達のうっかり具合を思い出す。案外『うっかり』しなければ、人は人に惚れ込む事などないのかも知れない。
レーナの意識がいささか当惑気味に触れてきたが、フィンはただ、単純な優しさでもってそれに応えた。照れくさいのをごまかすように。